アナ・コルベロ展 その2
床に敷かれた赤い布は、血塗られた紛争中のどこかの国の地図のようでもあり、国境のようでもある。
そのうえに密に疎に置かれた少女の像は、ことごとく苦渋の表情を浮かべている。
アナ・コルベロ (4)


岩の上の、寄り添っているようにも見える二人の少女。でも近づいてみるとまさに“quarrel” 。喧嘩の真っ最中という表情でした。横向きの子がもう一人の耳元で激しく詰め寄り、一方は聞く耳を持たず“フン”といったふう。世界中に数多ある紛争のカタチ、原型とでも表現できるだろうか。
アナ・コルベロ (9)


「占有」。
植民地の歴史は占有の歴史。他人の領土を占有しようとするのは、その土地が自国にとって魅力があるから。眠っている地下資源があったり、防衛に優位な地形であったりという理由で。あるいは自国民を移住させるための領土拡大も、あるいは宗教上の理由からどうしても譲れない土地であったり。
アナ・コルベロ (8)

アナ・コルベロ (6)

アナ・コルベロ (7)

アナ・コルベロ (11)

「世界は小さい」。小さい世界を誰かが占有する(大義名分をふりかざして正義ぶっても占有したいのが目的の大国)。多くの血を流し、宗教も文化も言語すらも奪い取り、ついには民族の粛清に至る。
もしかしたら昨日、または明日、純粋な子孫を残すことなく、最後の一人が絶えて、どこかの少数民族が消滅しているかもしれない。
また反対にどこかの植民地だったものが、戦いに勝ち抜いて独自の国家として今日、誕生しているかもしれない。

そう考えると世界は小さくないようにも思えてくる。しかしほとんどが水に覆われた青い地球の、ほんの何分の一かの人が住める陸地に、急激に人口爆発した無数の人々が、ひしめき合って暮らしているという事実に、やはり変わりはない。

分つのではなく奪うしかできないのが人の性だとしたらそれはとても不幸なことだ。「足るを知る」ことと発展との折り合いをどうやってつけてゆくか、それもまた難問ではあるけれど。

けれど「足るを知る」心を持たない発展はやがて破滅するしかない、と思う。
そんなことを感じたアナ・コルベロ展でした。




  
コメント
★こもれびさんへ★
>アナ・コルベロという作家、レバノンを第2の故郷としているとの記事を見ましたが、自分の血肉を表現に注いでいるのでしょうね。
-そうですね。激しい内戦を繰り返してきた歴史があるからなおのこと強いメッセージが伝わってくるのでしょう。
---------- まめゆり. URL│05/09. 02:08 [ 編集 ] -----

なかなか興味深い美術展をご覧になってきたのですね。
表現者とは、特に言葉を使わない美術家らはメッセージを込めているのでしょうが、見る側に伝わらないことが多々あります。
また見る人の感性に自由に任せている部分もあるんでしょうが、せっかくの表現、作者の意図が伝わってこそ生きるのだと思います。
今回の美術展は、詩も一緒に展示しているとのことで、メッセージが倍加して伝わるのではないでしょうか。
アナ・コルベロという作家、レバノンを第2の故郷としているとの記事を見ましたが、自分の血肉を表現に注いでいるのでしょうね。
---------- こもれび. URL│05/07. 20:56 [ 編集 ] -----
★丘さんへ★
一時はよく耳にしていた”もし世界が100人の村だったら”ですね。
自分で調べたらきっといくつもの省庁の資料を縦横に見ないと出てこない数字です。それでも出てくるかどうかも怪しいですが。そこのところをすばらしい翻訳で単純化して明快に出してくれたのでした。ほんとにハッとさせられますよね。
それにしてもネットはありがたいですね。ひまわりさんのようにリンクをはって下さったり、検索したりすればすぐ出て来ますもの。紙だったらとっくにしまい込んで探すのに手間取るでしょう。
---------- まめゆり. URL│05/07. 00:05 [ 編集 ] -----
★ひまわりさんへ★
”もし世界が…”、そういえばありましたね。この詩の数値はとてもリアリティをもって今の世界の有り様を示してくれたものでした。多くの人にいろいろな気づきを与えたことでしょう。
紛争中の国に生まれた子供の運命を引き受けることも担ってやることも現実にはできませんから、せめて次代に生きる我が子たちには、そういう現実があることを知って、戦争の愚かさを知識として知っていてほしい、感じていてほしいと思っています。
---------- まめゆり. URL│05/06. 23:54 [ 編集 ] -----
アナ・コルベロ展
文章で如何述べようかと考えながら、皆さんのコメントに目を向けていたら「100人の村」・・・もしも世界が百人の村だったら・・・を知りました。”めまぐるしく変わる世の中において、忘れ去られようとするものに、じっくり視点をあわせ、考えていこう”と言う内容でした。本当に心にしみました。
---------- 丘. URL│05/06. 22:38 [ 編集 ] -----

こちらを拝見していたら、”もしも世界が百人の村だったら”という詩を思い出しました。
ご存知なければ、こちらをご覧下さいね→http://poco.cool.ne.jp/100people/100people01.html 
まめゆりさんが、自分の子供と笑うことを知らない戦地の子は、
同じ子供・・・ただ生まれた場所が違っただけ・・・とおっしゃっていたように、
どうすることもできない運命に翻弄されてしまうことって
悲しいけどたくさんあって・・・じゃぁ、世界からせめて醜い戦争を無くしていけば、
貧しくとも笑顔を知らない子供はなくなるのではないかなぁ・・・
そんな風に思いました。
---------- ひまわりさん. URL│05/06. 09:37 [ 編集 ] -----
★さとしさんへ★
>欲と言う物に時には支配されたり、傷付き合ったりしている中で人間は生きている。
-小さくて儚くて煩悶しながら生きている、だから人間ていうのは愛おしい存在なのではないでしょうか。だれもがお釈迦様みたいに達観していたらこの世には哲学も思想も生まれなかったことでしょうから。
自然はそんないじらしい人間に神様がくださった癒しなのでしょうかしらね。お花だって一番きれいに写るように工夫してあげるとなんだか嬉しそうに感じます。さとしさんの写す花、私は大好きですよ。
---------- まめゆり. URL│05/05. 15:37 [ 編集 ] -----
おはようございます。
私達人間の世界ってとてもちっぽけで実は小さな物だと感じていました。
欲と言う物に時には支配されたり、傷付き合ったりしている中で人間は生きている。
そんな物から逃避したくて、私は花や自然の物に触れながら写真を撮る様になりました。(花しか撮れないと言われる事もしばしばですが。(笑))
花や自然には無償の何かを感じます。
そしてまた現実に戻される日々の連続です。(>_<)
アナ・コルベロ展の内容を拝見させて頂いてとても深く考えさせられました。
本文の内容と掛け離れたコメントになってしまって、すいませんでした。m(__)m
---------- さとし. URL│05/05. 15:14 [ 編集 ] -----
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